明和時代の若島津ほどかっこいいキャラクターを私は知りません。
普段は飄々として斜に構えたところがあり、自分の技には絶対の自信を持ち決めるときはビシッと決め、ポーカーフェイスを決め込みながら時折とんでもない大口をたたく。マイペースな職人気質にも見え、ヒール系のダーティーな魅力もあり、そのうえ見た目は超かわいい。C翼が小学生編で終わっていたら、若島津は「魅惑の敵キャラ」として少年マンガ史に名を残したかもしれません。
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〜ヒストリー・オブ・若島津健 その1〜空手一筋だった頃の若(試合中)&若堂流応援団。荒くれ男ばかりの道場に咲いた一輪の花。さぞかし可愛かったことだろう。誰もがこの幸せが続くと信じていた。あの色黒の貧乏人が現れるまでは・・・。 |
それが一転、中学生編で「日向の付属品」「若林の代役」にすぎないという事実が判明します。
とにかくもう苦労、苦労の日々。常に日向のわがまま、監督とのごたごた、サッカーをやめるのやめないの、若林に勝つの負けるのといった雑念に振り回され、「勝負師としてこの一戦に賭ける」という透明な感じがなくなってしまいました。そのうえやたら試合でボコボコにされるようになります。4失点5失点はあたりまえ、なまじ実力があるためスーパーショットに反応しては大ケガのうえ大量失点、のパターンを繰り返します。
ここで若島津ファンは考えます。「若島津は、原作者から不当な扱いを受けている。」
原作そのものを読んで当も不当もありませんが、若島津にはそう思わせる何かがあります。その根拠の一つが、栄光の小学生編にあることは間違いないでしょう。本当はもっと強くてかっこいいのに、原作者の都合により地味で損な役どころに・・・。日向にただ従うだけの役まわり、外人キャラを活躍させるために大量失点させられ、若林を出場させるために大ケガを負わされ・・・しかもそれらの惨状についての感情やセリフをほとんど描き込んでもらえない。
このような現状を目の当たりにした若島津ファンは、概ね次の2通りの反応を示すようです。
1.若島津“本来の姿”を自ら描く。
これは初代アニメのオリジナルエピソードによく表れています。アニメの中学生編には、若島津に関して次のような話(回想シーン)が挿入されていました。
・明和FC時代、入団したばかりで明和のパワープレイについていけないタケシを、日向含めたチーム全員で笑いものにするが、若島津だけは笑わず、やさしくタケシに手をさしのべる。その後タケシにお願いされて特訓までしてあげる。
・ヨーロッパ遠征初戦、「俺がナンバーワンだ!」とかエラそうなことを言いながら2失点の若林に代わって若島津出場、大活躍。しかも「空手技がすごいだけでなく、常に平常心でいられるのが若島津はんのええところや」みたいなことを中西に言わせており、それを聞いて若林が悔しがる。(夢のよう・・・。)
これらのエピソードにおいて、若島津が原作よりはるかに良いイメージで描かれているのは注目に値します。やはり皆、原作での若島津の扱いには納得がいかなかったのでしょう(アニメ制作時にはまだ原作のJrユース編は始まっていなかったかもしれませんが、Jrユース編の原案は映画でしょうから・・・どっちにしろヒドイことに変わりはない)。このような、原作者では思いつかない同人誌的なネタをアニメのスタッフにまで妄想させるのが、若島津の奥深さなのです。
2.この不遇こそ彼の魅力、と都合よく解釈する。
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〜ヒストリー・オブ・若島津健 その2〜貧乏な若者と駆け落ちする令嬢。その後亭主は失踪、大勢の子供(部員)を抱え、苦労して家(ゴール)を守り、雇い主(監督)に責められ、実家に連れ戻されそうになり・・・。ああすべて原作通り・・・。 |
具体的には次のような発想の転換を言います。
・セリフが少ない?
→健ちゃんは「無口でクール」なのよ〜。頭いいから余計なこと言わないの。日向さんとは目と目で通じ合ってるから言葉なんかいらないのよね〜。
・描き込みが足りない?
→健ちゃんは「秘密主義」なのよ〜。その謎に包まれてるところが「ポーカーフェイスの裏に隠された本当のおまえを知りたい」って欲望を掻き立てるのよね〜。
・失点が多い?
→健ちゃんを見るとみんな本気出しちゃうのよ〜。「おまえが俺を本気にさせた」って感じ? それに悔しがったり落ち込んだりする姿も絵になるのよね〜。
・ケガが多い?
→健ちゃんがかわいいから、みんなついいじめちゃうのよ〜。源三とかミューラーとか、熊にボールぶつけたって楽しくないじゃない? 「おまえのその美しい顔が苦痛にゆがむのを見たい」とか思ってるんだわ〜。
・・・結局のところ、同人界における若島津人気の秘密はこの「不幸萌え」にあったのではないでしょうか。
不幸なら不幸なほど感情移入し、自分の理想のイメージの中に取り込んでしまう。それも三杉の心臓病のようなストーリー性のある不幸ではなく、原作者の愛のなさによる理不尽な不幸。なんとかしてあげたい一心で、どんどん自分でお話を作ってしまう健気な健ファンの妄想回路。原作での不当な扱いこそ創作の源。ああ健の不幸は蜜の味。明和時代の印象のまま、若林に負けないSGGKに成長していたら、私はここまで若島津にハマらなかったと思います。
原作者の愛が足りない? →健ちゃんのことは、日向さんと私が深く愛してるからそれでいいのよ〜。
・・・そうして十代だった私は、「原作にはもう頼れないわ」とばかり、コジケン同人誌にのめりこんでゆくのでした・・・。
(三十代になってもまだやってますが・・・。コジケンの呪縛畏るべし。本当はT先生に描いてもらうのが一番いいんですけどね。でも今の絵柄では何も描いてほしくないし・・・やはり原作には頼れない・・・。)
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