カップリング研究:小次×健2



日向小次郎論続き:日向にとっての若島津
赤嶺真紀登場の功罪



日向小次郎論続き:日向にとっての若島津

「キャラクター研究・日向小次郎」で原作における日向の位置付けを考察しましたが、若島津のページで日向との関係ばかり強調したのと異なり、若島津の存在にはほとんど触れていません。日向抜きの若島津は有り得ないが、若島津抜きの日向は有り、ということでしょうか。否、やはりそんなことはありません。
ここでは、日向サイドから見た若島津の存在について考えてみたいと思います。

日向小次郎というキャラクターにとって、若島津が存在する意義は次の3点に集約されます。
1.日向の人物評価を高める
若島津が出てくるまでの彼の印象は「乱暴だが心根はやさしいガキ大将」以上のものではありませんでした。そして彼が後輩や女に好かれても当然であり、それだけでは彼の人物像に何の影響も与えません。正反対のタイプで実力もあり頭も良さそうな同級生の若島津が完全に心服していればこそ、「何か余程の魅力があるに違いない」という幻想が生まれ、彼の人物の大きさが際立つのです。また、小学生のときから苦楽を共にし、絶対的に日向を支持する若島津の存在があってこそ、東邦のメンバー全員が日向を慕う姿に真実味が伴うのです。

2.女子マネ不在のカムフラージュ
他の主要キャラにあって日向にないもの、それが「女の子ネタ」です。C翼世界ではマネージャーはキャプテンに気があるものと決まっており、ただでさえネタの多い日向に恋愛話まで加えると収拾がつかなくなってしまいます。しかしチームメイトが地味な武蔵やふらのに比べ、明和・東邦は「紅一点」(に見える)若島津の存在によりビジュアル的に欠落感がなく、また「幼なじみ」「励ましの声」「チームのお袋さん」としても若島津一人で十分なのでそのための女キャラを必要としません。つまり若島津は、「女子マネや恋愛ネタを出すことなく日向を「華」がある感じに見せる」という役割を果たしているのです。

3.日向の危機を救う
最初から「窮地の日向を救う役」として登場した若島津は、中学生編では自らのサッカー人生がかかった状況でさえ日向を試合に出すことを最優先にして戦い続け、何の文句も言わずキャプテン代行を務め、日向が不調のときは叱咤激励し、落ち込んでいるときは慰め、ついにワールドユース編で「金に困っているときは通帳と印鑑を持って駆けつける」に至ります。日向のキャラクター研究でも述べましたが、原作における日向の位置付けは「狂言回し」、もっと単純に言えばトラブルメーカーです。しかし、いくらドラマを盛り上げるためとは言え、彼の暴走をそのまま放置しては、話が果てしなく脱線していく恐れがあります。それをすんでのところでくい止めるのが若島津です。若島津がひたすら日向だけに都合のよい人物として描かれているのは、「日向を暴走させて無茶苦茶になった話を、なんとか辻褄を合わせて本筋に戻す」という役割を担っているからでしょう。

つまり、日向のネタに説得力を持たせ、単なる脇役のトラブルをメインテーマのように見せるよう演出しているのが若島津の存在だと言えます。
中学生編全国大会の骨子である日向の物語は、若島津なくしては有り得ませんでした。日向の失踪・出場停止・決勝出場の話は、懸命に留守を守り続ける若島津とセットになって初めてドラマになるのです。東邦のキーパーが森崎だったら何にもなりません。若島津の絶対的信頼がなかったら、日向の行為は単に無謀・無責任としか映らず、チームメイトの「決勝をボイコットする覚悟」や「土下座して嘆願」等のエピソードも嘘っぽい印象を免れないでしょう。「幼なじみ」で「職場の華」で「実力ナンバーワンキーパー」の若島津が必死で戦ってこそ、ジャージを着て座っているだけの日向に存在感が生まれ、決勝に出るだけのことが感動を呼ぶのです。
真紀のお守りってのがまたしょぼい話ですね。日向に日向人形あげたって
嬉しいわけないと思うんですが。ここはやはり「守護神健ちゃん人形」を
渡して評価UPを狙ったらどうでしょう。
若島津の献身は、原作のストーリー展開において重要な意味を持っていたのです。

そう考えると、ワールドユース編で若島津が日本代表を辞退してJリーグ入りしたことも容易に納得がいきます。
貧乏なくせに就職も進学もせず代表一本に絞るなんて現実離れしたことをやっている日向がいずれ経済的に破綻するのは必至、それを見越して若島津は、我が身を売って金を調達しに行ったのでしょう。しかも日向に余計な心配をかけぬよう表向きは「監督の方針に不満」ということにして・・・。なんて健気な・・・。

日向にとっての若島津、これはもう何のヒネリもなく「守護神」です。
日向本人にとってそうである以上に、原作の演出効果として必要不可欠な存在だったのです。
続編で日向がどんどん不調になっていくのも、やはり若島津と引き離されてしまったことが原因でしょう。影は光なくば存在し得ませんが、光もまた影なくしては際立たないのです。
挫折の果ての太陽は、守護神の帰参なくしては輝かないのです!!


赤嶺真紀登場の功罪

C翼続編シリーズを読んでいなくても、「日向用の女キャラが出てきた」という悪い噂を聞いている人は多いことでしょう。それがこの赤嶺真紀という女子高生です。もうハシにも棒にもかからんつまらん女で特に語るべきこともないのですが、彼女の登場によって判明したこともあるので、それを解説したいと思います。

まず、真紀というキャラクターを見てみましょう。
日向より年下のソフトボール選手、沖縄人でおそらく地黒、ショートヘアでツリ目で小柄、男勝りで言葉遣いが乱暴、人見知りしない明るい性格、といったところでしょうか。日向を女にしたような、とも言えますが、これはどう考えても「若島津の逆」なのです。
そして彼女の方からしつこく日向にアタックしてくるのですが、これがもし逆に「長い髪の物静かな美人に日向が惚れる」という展開だったとしたら・・・誰もが「日向はやはり若島津に似た女を選んだ」と考えてしまいます。これはやおい本ブームに困惑していたらしい原作者としては意識せざるを得ないでしょう。つまり真紀は、「日向に彼女を作ろう」としたのはよいが、「若島津とかぶらない」ことを最優先にしたらこんな女になっちゃった、という感じのキャラなのです。

さらに重要なのは、真紀の登場が「若島津の日本代表離脱中」であったことです。
つまり若島津が物理的にも精神的にも日向のそばにいない、という状況を作り出して初めて、原作者は真紀を出すことができたのです。
同人誌によくいるフラれ役のオリキャラにしか見えない女、真紀。
やっぱり無理だったのよ、若島津と張り合おうなんて・・・。あんたとは
世界が違う、世界が!
代表復帰後も、若島津が真紀と接点を持つことはありません。小学生のときからずっと一緒にいる親友でありながら、タケシのように真紀と顔を合わせることもなく、二人の関係を見守ったり、チームのみんなと一緒に冷やかしたりすることもありません。
ウルグアイ戦の前に日向が真紀からお守りをもらい、それをタケシにバラされチームのみんなから冷やかされる、という場面がありますが、ここでもなぜか、その場にいるはずの若島津の姿が描かれていないのです。

要するに、原作者の力をもってしても、「日向の女ネタ」と「若島津」は両立しないのです。
真紀ネタのときに若島津を出すのは憚られる、ということでしょう。若島津と真紀を対面させたら、「め○ん一刻」の響子さんと八神の対決シーンのごとき緊迫した雰囲気になってしまうに違いありません。結局、真紀を登場させたことで、かえって「若島津が日向の擬似恋人役として機能していた」という事実が証明されてしまったのです。

そして、真紀初登場から10年を経てもなお「真紀の片思い」の状態から何の進展もないということに、「日向×女」という組合せの不毛さを見る想いがします。
契約金をそのまま渡してしまう若島津の前に、お守りを渡すくらいしか能のない真紀が霞んでしまうのは当然で、そんなふうにしか描けないのであれば女キャラなんか出したってしょうがないでしょう。
だいたい苦労人の長男である日向に、「あんたみたいなお兄ちゃんほしかったんだ」なんて女をあてがう神経がわかりません。弟妹なんか腐るほどいるのに、そのうえ「妹」的な女に頼られるなんて気の毒すぎます。彼のお相手に望まれるのは「母性」でしょう! 実の親に頼れず厳しい人生を歩む彼には、いつもそばで彼を支え、無条件で味方となり、時には甘えさせてくれるような、そんな人こそ・・・まるっきり若島津ですね。だから若島津とかぶらないようにすると、日向とうまくいくはずもない女になってしまうのです。

というわけで、「コジケン」が原作的にも十分根拠のあることだとわかりました。
この上は、真紀の話はなかったことにして、若島津をイタリアに派遣し、再び二人をチームメイトにしたストーリーを作っていただきましょう! それが往年のファンを呼び戻し、C翼人気を復活させる早道! だと思うのですが・・・やらんだろうなあ、絶対。
(この論旨をまとめると、「1.C翼がおもしろいのは日向のおかげである」、「2.日向が活きるのは若島津のおかげである」、「3.C翼は若島津のおかげである」、というしょーもない三段論法が成立してしまうのですが・・・ま、私にとってはそんなもんなので・・・何しろ若島津中心主義ですからね・・・。それから、当サイトのお客さんの中には一人もいないと思いますが、真紀ファンの人ごめんなさい。)


[ブラウザバックでお戻りください]