考察を書くにあたって、私はなるべく客観的な視点を保つよう心がけています。
原作のある描写から確実に判断できることと、そこから想像されることは異なります。これまで私は両者を混同しないよう注意し、「原作分析」と「腐女子(主に自分)の思考分析」は区別して行ってきました(うまくいっていない場合も多々ありますが)。特に核となる日向と若島津の関係性については、キャラクターの基本設定やストーリー展開上の役割など表面的事象の分析に重点を置き、キャラの感情の深読みや裏設定の決め付けなどは極力避けています。
しかし、それでは不足なのです。原作の設定や描写が妄想を誘発する構造をしている以上、「妄想の余地もひっくるめて原作」と捉え、仮説を立てて検証していかなければ十分な研究成果は得られません。
ここでは、あえて公式も非公式も区別せずに論じてみたいと思います。テーマは以前にも扱った「日向にとっての若島津」。改めて二人の歴史を振り返り、日向視点から見た若島津の存在意義について詳しく追究していきます。尚、非公式部分は100%私個人の主観によるものですので、今回は考察と言うより単なる願望と受け止めていただいた方がよいでしょう。
「GOLDEN−23」の中で、若島津がキーパーになった経緯が初めて語られます。
本人曰く、「元々はFWだったが明和には日向小次郎という絶対的FWがいたので、吉良監督の指示でGKに転向した」とのこと。彼がサッカーを始めたきっかけが何だったのかはわかりませんが、GKになった理由は日向にあることが判明しました。
これは日向にとっては僥倖、降って湧いたような幸運でしょう。守備がダメな明和FCにどうしても欲しかった巧いキーパー、それが突然手に入ったのです。自分が苦労して探したのでも必死で説得したのでもなく、ついさっきまでツートップ組んでた奴がなぜかGKに転向してくれて、しかもいきなりスゴイ実力。こんな都合のいい話、そうザラにありません。
けれど若島津はそれでよかったのでしょうか。FWとしては日向より劣ると決めつけられ、ポジション変更を余儀なくされたわけです。与えられた役割に納得できたのでしょうか。あれだけ若林との正GK争いにこだわっていた彼、同チーム同ポジションで二番手という状況は一緒です。ライバル意識や劣等感、嫉妬心などが生まれても不思議はありません。日向に対してそのような感情を抱くことはなかったのでしょうか−−?
ない。そう私は断言します。
若島津が日向に対して攻めになるか受けになるかの条件は「勝ち負けの意識の有無」であると私は考えております。自分より優れた者に対する尊敬と嫉妬、人間として敵わない代わりに男として勝つことでようやく保てる微妙なバランス−−そういう愛憎入り混じったアンビバレントな感情が見えるかどうかが彼岸と此岸の分かれ道という気がするのですが、これが私には全然見えない。
というより、いろいろな重荷を背負っている日向に若島津の歪んだ愛まで押しつけては気の毒なので、そうあってほしくないというのが正直なところでございますが、少なくとも「越えられない壁」「追いつけない背中」への屈折した想いなんぞはありますまい。それが実際どういうものかは日向→翼、若島津→若林の確執を見ればわかりますし、コンバートを語る若島津の言葉はあまりに屈託なさすぎです。
おそらくは快く受け入れたのでしょう。裏表のない素直な好意です。若島津が日向を慕うのは作者によって植え付けられたDNAによるもので、特別な理由は要りません。日向はここで、幸福は努力の対価として得る以外に、天の恵みのようにもたらされる場合があることを体感します。
その後若島津は交通事故で致命的な重傷を負い、全国大会出場も絶望的となってしまいます。
日向のショックは相当なものだったと思われます。せっかく手に入れた希望を無慈悲に奪われる不運。「またか」−−そう思ったはずです。
日向は小4の時にやはり自動車事故で父親を亡くしています。明和FCのレギュラーを獲得し、これからという時に起こった悲劇。不幸にもまた自分に原因があるものと天災のように防ぎようのないものがありますが、幼い彼にそんな区別はつきません。「自分が試合に負けたせいだ」と自らを責めます。
それから約2年後に起きた若島津の事故は、単に「主力選手が欠場になって残念」という以上の衝撃を彼に与えました。やはり天は俺の味方じゃない−−運も不運もすべて自分次第なんだ、一人でなんとかするしかないんだと、過酷な現実を前にますます孤独感を深めていったことでしょう。
しかし、若島津は奇跡的に復活します。それもチームの絶体絶命のピンチを救うという、もうひとつの奇跡を伴って。
絶望の淵から這い上がってきた若島津は、日向の心的な負の連鎖を断ち切りました。そして、自分ひとりではどうにもならないこともあること、それは日向が悪いのではないこと、時には他の誰かに頼ってもいいこと−−さまざまなことを彼に気づかせます。
日向はふらの戦のあと初めて安心して倒れることができ、目覚めたときには一回り成長していました。若島津の復活によって、父親の死を起因とする日向のトラウマは払拭されたのです。
東邦学園入学後、日向にとって若島津は近くにいて当然の、空気のような存在になっていきます。
若島津は日向を追って東邦に入りました。これはあくまで若島津の主体的な行動であり、日向が頼んだわけではないでしょう。あねごが翼を応援したり、弥生ちゃんが看護婦を目指したりするのと同じで、男は常に好意を受け入れるだけです。
こちらがあえて求めなくても、無償の愛を注いでくれる相手がいる−−。若島津はあたりまえのように隣にいて彼を支え、厳しい試練も一緒に乗り越えてきました。牙が抜けるほどの満ち足りた生活を送る日向。全国大会前に失踪したり、勝手に退学届を出したりしますが、それも必ずついてきてくれる若島津への信頼があってこそです。
ハンブルグとの練習試合では、日向の命令にだけ素直に従う若島津の姿も見られました。また、その試合に負けた日向は乱闘騒ぎを起こしドン底の気分で立ち去ったあと、若島津に会うためわざわざ病院に立ち寄っています。辛い時に顔が見たい、そばにいてほしい、そういう特別な存在になっていたのだと思われます。
けれど日向はわかっていなかったのです。この幸せな関係はすべて若島津の意志によるものだということを。二人をつなぎとめているのは、若島津の手だけなのだということを−−。
高校卒業間近の2月−−若島津、全日本ユース離脱。
若島津は自分の意志で日向とともにいることを選び、無償の愛を捧げてきました。それは言い換えれば、若島津が好きでやっていただけで日向の意志は関係ないということです。無償であるからこそ、自分の気が変わればやめられるとも言えます。始まりも終わりも自分が決めること。そうして若島津は自ら掴んでいた手を離し、日向の元を去ります。
放り出された日向の動揺は見苦しいほどでした。なにしろ空気がなくなるようなものです。俺の言うことなら何でも聞いてくれた若島津が。もうわけがわからない。あんなに一緒だったのに、なぜだ、なぜなんだ。−−なぜ逃げるんだ若島津!!!
そして「力ずくでもおまえの離脱を阻止する」と、若島津の頭めがけてタイガーショットを打ち込む暴挙に出るわけですが、暴力で人の気持ちを変えられるとでも思ったのでしょうか。これはDV夫の発想で、完全に常軌を逸しております。優秀なGKが失われるというチームの問題など端から頭になく、自分が何の疑問もなく手にしていた幸福が突如失われる理不尽に耐えられなかっただけでしょう。
この作品の中で、ここまで激しい執着を見せた例は他にありません。日向自身他人に依存するのを嫌う性格で、普通なら去る者をあえて追うことはしないはず。若島津だけが違うのです。ここで日向が見せたのは、若島津は自分のものであり、どんな事情があろうと自分から離れることは絶対に許せないという凄まじい独占欲でした。失ってみて初めて、若島津がどれほど大切な存在だったかを思い知ったのです。
[ブラウザバックでお戻りください]