カップリング研究:シュナ×健




シュナ健に見る総受志向と萌えの原点

カップリングにおける私の趣味を一言で表すと「野蛮俺様攻×クールビューティー受」となります。
これは取りも直さずコジケンのことであり、元々そういう趣味でたまたまコジケンが一致した、というものではありません。最初にハマったコジケンの刷り込みはあまりにも根深く、どんな作品を読んでも「コジケンと被ると萌え、違うとわかると冷める」という状態が20年近くも続いておりますが、それならコジケンしか読まないかというとそういうわけでもない。いや、かなり積極的に「健受なら何でもいい」という気持ちさえあります。これはいったいどういうことなのか。
ここでは、主にシュナ健に焦点を当て、コジケン派にとっての「総受」志向について考察したいと思います。

まず、シュナ健という組合せについて具体的に検証してみましょう。
原作でもアニメでもシュナイダーと若島津はほとんど何の関係もありません。が、その数少ない絡みはかなり強烈な印象を残しました。真っ先に言及せねばならないのは映画「ヨーロッパ大決戦」で、若島津の活躍を見てシュナイダーが途中出場する場面でしょう。それまで日本チームをバカにしてベンチに引っ込んでいたものが何故わざわざ出てきたのか、これは「若島津がかわいかったから」と見て間違いありません。このあと若島津はあっという間に失点して若林と交替するのですが、別の映画でも顔面にシュートを決められたり、原作でも流血大惨事になったりして、とにかくシュナイダーが出てくると若島津はろくな目に遭わない。そして退場。ここで源三ファンなら「シュナイダーは若林を出場させるために若島津を退場させた」とか思うのでしょうが、若島津ファンにそんな正論は通用しません。

もう、悶え苦しむ若島津と冷たく微笑むシュナイダーに目がクギヅケ。
シュナイダーファンの人すまぬ。ちなみに私はこの手の話を読んだことがないのですが、どこからこんな妄想が・・・。ドイツに対する偏見か?

「君がもう少し素直になってくれればこんなことはしないで済むんだよ」とか「そうやって苦痛に歪んだ顔も美しい」とか、いかがわしい台詞が次々と浮かんでくるではありませんか。
どうも私はクールビューティー系の男のいたぶられる姿や苦悶の表情に興奮してしまう性分らしく(どんどん明らかになる私の異常性癖)、それほどヤオイ傾向が顕著でない頃から、若島津がボールごとゴールに押し込まれたり、ゴールポストに激突したりするたびに「きゃああ〜〜〜」と嬉声をあげてまいりました。そんなヨコシマな心で試合を見ておりますと、もう対戦相手がみんな若島津に気があるように思えてしょうがない。
「くらえ若島津!」なんて言ってシュート打とうものなら「そ、そうよね、みんな健ちゃんをハアハア言わせたいのよね、攻撃にも力入っちゃうわよねえ〜〜」・・・そういう自分が一番力入ってるわけでありますが、若林はもちろんのこと、翼も岬も修哲トリオもあやしいし、三杉なんて絶対あやしい。明和東のメンバーは当然全員若島津に惚れている。シュナイダーよ、おまえもか。ハンブルグ戦の「ナイスキーパー、フッ」に自らの邪心を見る想い・・・。

「受は愛に似ている」と申しますが、受・攻どちらのファンであるかを問わず、ヤオイの嗜好性とはやはり「受のあり方」にかかっていると言えるでしょう。
「サドはマゾを好まず」とも言いますが、私自身の好みとしても、若島津をハアハア言わせたいと強く希望しつつ、そう簡単によがってくれても困るというもの。 私の大好きな試合にJrユース編のフランス戦がありますが、この最後のくだりは若島津ファンにとって垂涎ものの展開でした。よってたかって若島津を痛めつけるフランスの野郎ども(単なるPK戦)、右拳から血を流し激痛に苦しみながら必死にボールに向かう若島津。そして最後にナポレオンが「全日本のキーパーよ、おまえへのうらみはこのPKではらす。その右手、俺が砕き落としてやる」などと若島津をかなり意識していたこと丸出しで(ナポレオンよ、おまえもか)シュートを打ってくるのですが、それを止めにいった若島津の台詞、「砕けるものなら砕いてみろ!」。ああっ、これですよ、これ!
三杉さまファンの人すまぬ。こんなのばっか・・・。

戦う男・若島津。さすが武道家、さすが日本男児!
どんな苦境に立たされても、カラダは誰にやられても(おい!)、心は決して挫けない。美しい目で相手をキッと睨みつけ、毅然とした態度を崩さない。あの親父にしてこの子あり。かわいい顔して「男に二言はない!」。女っぽい顔の男の、雄々しく戦う姿、負けない心。まさにこれが私の「萌え」の原風景だったのです。相手なんか誰だっていい、とにかくそんな「理想の受」が見てみたい−−。
しかし世の中にはもっとスゴイものがあった。

この誇り高き男・若島津にも、たったひとり、身も心も許してしまう相手がいる−−。
若島津が日向の前でだけ不思議なほどかわいく従順である、これに気づいたときの衝撃は私のその後の人生を変えてしまうほど凄まじく、20年経ってもまだこんなものを書いているわけなのですが、普段は冷静で気も強い若島津が、日向を前にしてついかわいくなっちゃったり、思わず泣いちゃったり、はからずも取り乱したり、理性が吹っ飛んだりするさま−−それはどんなドラマチックなラブストーリーよりも、ハードな本番シーンよりも鋭く私の煩悩を直撃したのでありました。私はコジケンにおいて、理想の受の「心のカタルシス」を見る快感に目覚めてしまったのでございます。これはまさに「キャラ萌え」から「セット萌え」への歴史的大転換!!

結局私は総受ネタで「理想の受」を追求しつつ、それ以上に「日向との関係性」に煩悩しているのでありました。
他の誰にも屈しない強い力を持つ彼だからこそ、日向だけは受け入れるその瞬間の感動もひとしお。「だれがおまえなんかに」と「あんたならいいんです」は表裏一体なのでした。「好きなキャラがいろんな相手にやられる話が何故そんなに楽しいのか」という長年の疑問も、「メインカップリングの地盤を固めるため」で一挙に解決。がんばれ源三、がんばれシュナイダー。そうやって君達がちょっかい出してくれればくれるほど、コジケン派の楽しみも増えるというものなのですよ。ああやっぱりコジケンに戻ってしまったわ・・・。

だから健ちゃん、くれぐれも他の相手と両想いになんぞならぬよう。君の笑顔は日向さんだけのものですからね。そこらへんどうかお忘れなく!


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