maybe blue (1)



 「まだ起きてたのか」
 消灯の時刻を1時間も過ぎた頃、日向が帰ってきた。
 若島津はパジャマ姿で机に向かい、電気スタンドの灯りで本を読んでいた。
 「どこ行ってたんです」
 日向は答えず、制服の上着を乱暴に放り投げてベッドに腰掛けた。
 若島津はスタンドのスイッチを切って窓の方を見た。月あかりがガラスに反射し、部屋全体を青く照らす。カーテンを閉めようと若島津が立ち上がったとき、
 「若島津」
 低く、押し殺したような声。若島津はふりむきもせず、カーテンの端をつかんで窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
 「若島津」
 日向が再び自分の名を呼ぶ。見なくてもわかる。日向の鋭く刺すような、それでいて深く悲しい目−−。わかっている。いま何を考え、何を言おうとしているのか。カーテンを開けたまま、若島津はゆっくりと向き直った。
 「おまえは、なぜ、ここにいる」
 「……」
 「こんな俺についてきて、何か意味があるのか」
 「…吉良監督の言ったことは…気にするなって言っても無理でしょうけど……」

 東邦学園中等部に入学して2年が過ぎた。日向は1年目からエースストライカーとして活躍、2年目からは若島津も正ゴールキーパーとなり、東邦学園は2年連続して全国大会の決勝に進んだ。
 そして、2年連続して南葛中学に敗れた。
 2年目の大会が終わったころから、日向の躁鬱の差が激しくなったように若島津は思う。異常なほど陽気にチームメイト達とはしゃいでいたかと思うと、ほとんど口もきかず深刻な顔で校内を徘徊する。ただ、寮の部屋で若島津と二人でいるときは決まって「鬱」だった。
 そんな状態で3年目の全国大会地区予選に突入したのである。順当に勝ち進んだが、東京都大会決勝の相手は久々に復帰した三杉淳率いる武蔵中学。簡単に勝てる試合ではなかった。三杉の体調が悪化し、途中交代となったおかげで勝ったようなものだ。そして試合を見に来ていた吉良監督の言葉。
 −−おまえは牙の抜け落ちた、檻の中の虎だ。

 「俺はタケシと違って、あんたを慕ってついてきたわけじゃない」
 「……」
 「あんたがどんな状態でも、いちいち影響されて離れたりくっついたりしませんから。俺は、自分のために東邦に入ったんです」
 「そうじゃねえ」
 日向は立ち上がった。
 「おまえ昔言ったろうが。俺と優勝したい、俺と一緒にいれば強くなれる、強くなりたいから一緒に優勝を目指す、って。でも俺が何だっていうんだ。あのころの俺とは違うんだぞ。好きなだけサッカーに打ち込める環境になって闘志を失った俺に、それでも翼に負け続ける俺についてきて、おまえは強くなれるのか? 俺は、おまえが一緒にいて強くなれるような人間なのかよ!」
 「…キャプテンは、翼にこだわりすぎてる」
 「なにいっ!」
 「強くなって優勝したいのと、翼に勝ちたいのは違う。キャプテンは東邦が優勝できないことと、自分が個人的に翼に及ばないことを混同しています」
 「同じことじゃねえか! 結局奴に勝てなきゃ優勝できねえんだ!」
 「違います! 東邦が優勝できないのはキャプテンだけじゃなく、チーム全体の責任でしょう? それをあんたは勝手に自分ひとりの問題にすり替えてる。そんなスケールの小さいことで悩んでたら、牙も爪も失くして当然です!!」
 「うるせえっ!!」
 日向は若島津の長い髪を引っ掴んだ。

 若島津自身、よく考える。自分はどうして東邦に入ったのだろう。キャプテンといると強くなれる気がする、というのは何だったんだろう。小学生のときはうまく言語化できなかった気持ちを、最近になって分析するようになった。
 それは多分こういうことだ。若島津は空手家の父を持ち、幼い頃から空手に打ち込んできた。そして天性の才能があった。誰でも人一倍努力をすればある程度のレベルには到達できるが、その先に、努力だけではどうしようもない限界が存在する。若島津はその壁をひょいと越えてしまえた。天才と言ってよかった。
 しかしサッカーでは違った。自分はサッカーの天才ではない。並外れた運動能力と尋常ならざる練習量をもってしても、決して「天才」の領域には踏み込めない。中学生では日本一、中学レベルを遥かに超える実力との定評を得ても、その思いは変わらなかった。だからこそ、若島津はサッカーを続けることにこだわるのだ。凡人として、能力の限りを尽くし、努力によってその限界を乗り越え頂点を目指す−−それが、若島津の考える「強い人間」であった。
 日向に惹かれたのは、日向がまさに「努力の人」だったからだ。日向が天才でないから、「翼」でないからこそ、若島津は東邦に入ったのだ。日向と一緒に優勝を目指してこそ自分は成長できる。それが、俺がここにいる理由だ。
 −−しかし、本当にそれだけだろうか。

 日向は若島津の髪を掴んで無理に引き寄せ、顔を近づけてその目を厳しく見据えた。
 お互いを凝視して固まったまま息苦しく時が過ぎる。やがて日向は再び髪を思い切り引っぱり、その勢いで若島津の顔をベッド脇の机に打ちつけた。そして背中から押しつぶすようにして若島津の上半身を机の上に腹這いにさせた。
 「キャプテン、何を…」
 若島津が驚いて体を起こそうとすると、日向は若島津の右肩に顎をのせ、体重をかけてその動きを封じた。なおももがくと、日向はその白い首筋に歯をたてた。
 「痛っ…」
 そしてベルトを緩めファスナーを下ろす音。
 日向は若島津のパジャマのズボンを下着ごと引き下ろすと、いきなり後ろから貫いた。
 「……!!」
 あまりのことに声も出なかった。耳元で日向が言った。
 「なんでこんなときに勃ってんだって思うだろ。俺はな、おまえをそういう目で見てたってことだ」
 「嘘…」
 「嘘じゃねえ。何度も何度も夢に出てきたぜ。おまえが実は女で、俺に抱いてくれってせがむ夢だ」
 「……」
 「俺はこういうやつなんだよ。いつかこんなことになるってわかってた。俺は、そういう薄汚ねえ人間なんだ。おまえにいてもらう資格なんかないんだ!!」
 「う…」
 「最低だ」
 そう言い捨てると、日向は激しく体を動かした。



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