電話を切ってからしばらくして、若島津が帰ってきた。
「あれ、なんでこんな時間に部屋にいるんです?」
昼間からベッドに転がっている日向を見て、若島津は驚いたように言った。
「悪いか」
「具合でも悪いんですか?」
「まあな。それよりおまえ、肩はどうだ」
「おかげさまで、ずいぶんよくなりましたよ」
若島津は荷物の片付けと合宿の準備を並行して行いながら、絶え間なくしゃべり続けた。全国大会のこと、精密検査の結果、ヨーロッパ遠征のこと、パスポートを取りに行ったとかいうささいなことまで、聞かれもしないのに延々と続けている。こんなによくしゃべる奴だったかと日向は思う。
違う。
「若島津」
ただこの空間を言葉で埋め尽くそうとしている。沈黙が怖いのか。
「はい」
それだけじゃない。
「おまえ、優勝できなかったらサッカーやめるつもりだったのか」
若島津の手が止まった。
「ええ、まあ」
少しの沈黙のあと、若島津は再び衣類の整理を始め、明るい声で言った。
「でも必ず優勝するって思ってましたから、そんな話はないも同然で…」
「そういう問題じゃねえ!」
日向は飛び起きて声を荒げた。
「試合ボイコットするとか言ってたじゃねえか! それにそんなことなら翼との勝負なんかこだわらなくてもよかったんだ! 何で黙ってた!」
「…俺の個人的な事情をあんたに押しつけるわけにはいかないでしょう」
「俺のせいでおまえがサッカーやめるのはいいってのかよ! 俺は嫌だ! そんなこと絶対許さねえ!」
「もう済んだことですから…それに結局やめてないんですし…」
「だからそういう問題じゃねえって言ってんだろ! どうしておまえはいつもそうやって一人で納得しちまうんだ!」
「……」
「勝手に理屈つけて、自分さえごまかせりゃそれでいいのかよ。俺が何にも考えてねえとでも思ってるのか?」
「あんた何を…言ってるんです…?」
「俺が悪いなら俺を責めろ! 嫌なら嫌だって言え! おまえ一人勝手に結論つけて、何もなかったことにして、それで済むと思ってんのかよ!」
若島津は目を見開き、呆然と立ち尽くした。
「何の話してるかわかってんだろ」
「あれは…あのことはもう俺、気にしてませんから…。あれはあれで仕方ないと…あんたの気が済んだならそれで…」
「済むわけねえだろ! おまえだって済んでねえから逃げたんだろうが!」
そして日向は若島津の右肩を乱暴につかみ、無理矢理顔を自分の方に向けさせた。
「いいか、よく聞け、俺はな」
「……」
「おまえが好きなんだよ。惚れてんだよ。やりてえからやったんだよ。そう簡単に忘れてたまるか!」
若島津は放心した表情で、激しく首を振った。
「嫌だってことか」
若島津は首を振る。
「じゃあ何だ」
首を振る。
「ダメだって言われて変えられるもんでもないけどな」
若島津は何かを振り払うように、ただ無言で首を振り続ける。
「何か言ってくれねえとわからねえ…」
脈が速い−−。
日向の指が若島津の首筋を伝う。
若島津の肩が一瞬こわばる。
髪に触れる。
そうだ、こいつは俺のものだ。誰にも渡さない。好きだった、ずっと好きだったんだ。もうずっと前から−−。
「い…いや…だっ!」
突然若島津は叫んだ。
「若島津!」
若島津は必死の形相で日向の腕を振りほどいた。
額から汗が流れ落ち、ひどく苦しげに息を吐いている。若島津は再び激しく首を振った。そしてよろよろと駆け出し、足をもつれさせながら外に出ると、力任せにドアを蹴とばした。派手な音が人けのない廊下に響き渡った。
日向が慌ててドアを開けたときには、もう姿がなかった。
「若島津…」